言いたい事なんて何ひとつ言いたい

日常の思った事をダダ漏れ書き。

扉を叩き割れ。

私が高校生の時にバンドをやっていた話。


ベースの子の収録も終わり、私は父親に話すタイミングを伺ってた。

ラチがあかぬ、と、思い切って父親に切り出した。

うちは、晩御飯の時間が、家族で話をする時間になっていた。

父親がいただきますと言ったら、食事の時間。父親より先に食べ始める事は、よっぽどの事がない限り無かった。

「パパ?」

「なんだ。」

「あのさ、テレビに出て貰いたいんだけど」

「嫌だ」


終了した。


プロデューサーにその旨を話したら、

益々楽しくなってしまったプロデューサーは、最初うちの母と話し、

海原雄山レベルに恐ろしい、うちの父親のご対談となった。


なんて言ったかはちゃんと聞かなかったが、

父親がテレビ出演にオッケーしたと、

プロデューサーと母親から聞いた。


些か拍子抜けしたが、

とりあえず良かったなぁ。と思った。


撮影まえ、父親

「お前、バンドやってるのか?」

と、聞かれ

「やってる、、、、、」

と正直に言ったら、 

別に何も言ってきたりはしなかった。




長い。

一旦〆。






おわり。

食べずに嫌う。

高校生の時バンドをやっていた話。


確か、その日のイベントは、

なんとなーく女子がメンバーのバンドを集めた感じだったと思う。

周期的に、イベントとしてでは無く、

ブッキングなんだけど、そういう日が良くあったりした。

その後、女の子バンドだけのオムニバスCDが発売されるのだが、そのCD参加にもお声をかけて頂けたのだが、色々あってお断りした。


ライブの出来とかは、全くもって覚えてない。

私がよく行っていたバンドのお客さんとか、ライブで仲良くなった人とか、

あとは仲良くしてたバンドの人なんかが、観に来ていたと思われる。

ライブハウス以外では、友達いなかったし、

音楽関連以外の人間に、興味をもてなかったし、

と、いうか、本当の意味での友人。っていうのが、私にはイマイチ理解出来ていなかった。

最初は感じ悪く、話しかけても来なかった人が、どこそこのバンドのメンバーと仲良しなのを知るや否や、親しげに話しかけてきたり、仲良くしてて、普通に遊びにも行ったりしてたバンドの人が、有名になるにつれて、態度が悪くなり、お高くとまったり、とか、そんなんばっかりだったから。


その記念すべき第1回目のライブの時に、

何故か、テレビのプロデューサーが来ていたらしく、うちのベースが声をかけられたらしい。めっちゃ可愛い子だったから。

で、「なんか、バンドでテレビに出ないか?みたいに言われたんだけど、恵奈も来る?」って言われて、

行っていいなら行くけど。

って、ついて行った。

都内の普通のマンションの一室に通されて、

名刺を渡されて、プロデューサー2人と、うちのベースが話しているのを、ボケーっと聞いていた。

「で、君は?ボーカルでしょ?なんで話に加わらないの?」

なんだ?こいつ?って思いながら、

「櫻(ベースの子の芸名)と話盛り上がってるから、こうやって、お耳で聞いてたんですよー。」

と、手を耳に開いて添えて、首を傾けながら感じ悪く言った。

その感じの悪さが気にいったらしく、

話を私にふってきたので、

父親が、凄く厳格で、ライブに行ってたとバレた日にゃあ、血みどろになる。とか、

自分のバンドでの夢。とか、

楽器がなにも出来ない。とか、

このバンドが結成された行きさつ。

なんかを話したら、

やはり、何故かとても気に入られて、

私の父親まで、テレビに出演して欲しいと言い出した。

いやー、、、無理ですよ、、、

第一、バンド活動禁止されてるんですよ?

って言っても、プロデューサーは引かない。

俺が説得するから、先に恵奈ちゃんがお父さんに話をしておいてくれ。と。

だから、その、話をする。って行為だけでも、恐怖でしかないんだってば、、、。

言っても、引いてくれず、

とりあえず、先にベースの子の撮影から入る事になった。

ベースの子は、結局、私中心に話がいってしまったのが面白くなかったらしく、

軽く仕返しをしてきたのだが、その話はまたの機会に。


長い、、、。

一旦〆。

  


おわり。

そうだったんだね。

高校1年生、いっつも高円寺の20000ボルトの階段のトコにいた。ライブを観る時もあったし、観ない時もあったし、なんで高円寺の20000ボルトに居たんだか、今になったらあんま覚えてない。店長の名前も、なんか思い出せない。菅原さん?だったっけかな?アンチの店長は、当時、松下さんだった。

20000ボルトの階段のトコが異様に好きだったんです。

んで、バンドをやりたいから、バンド名だけ初めに考えて、20000ボルトの壁1面に、自分で描いたチラシを貼り付けていく作業を、毎日していた。1面、自分のバンドのチラシを貼り付けていた。他のバンドが、チラシを貼ったら、また、その上から自分でチラシを貼った。しかもライブ日程とかのチラシじゃ無いの。だって、メンバー居ないから。

次第に、私が貼ってある1面には、誰もチラシを貼らなくなった。しかも、毎日絵を変えて貼ってた。

そん時かな?ライブを入れられちゃってたの。

いついつ、ライブ入れたからー、って店長に言われて、え!!メンバー、私以外いないですよ!?言ったら、じゃあ、なんとかしてメンバー入れてねー、ってゆる〜く言われた。んな、御無体な、、、って思ってたけど、何故かちゃきちゃきメンバーが決まり、しかも、20000ボルトの店長が、ライブを入れた前に、何故かアンチの方に先にライブが入っていた。

まあ、あんま、気にしなかったんだけど。

んで、曲作って、練習して、ライブもまだやってないのに、ギグスっていう音楽雑誌の取材を受けて、

そうなんです。メンバー決まってから、曲を作りだしたんです。ギターも弾けないのに。

バンドのコピーもやった事無く、いきなりオリジナル曲で初ライブ。という、今だと信じられないお話。

てか、若さゆえの怖い物知らずすぎた。

ライブ決まったのも、メンバーが居ない状態で、二ヶ月後とかだったんです。

まあ、私はボーカルだったのと、メンバーはみんな経験者だったんですけどもね。

長くなる。

一旦〆。

おわり。