凛々と魚が鈴を鳴らす。
私はビートルズを正直なんとも思ってない。
凄い好きとか無い。
何故なら、幼少の頃から、ビートルズを聴いていたからだ。
童謡よりも、アニメの曲よりも、1番耳に覚えているのはビートルズだった。
父がビートルズが大好きだった。
因みに母は、ローリングストーンズとジャズが好きで、
だからという訳では無いが、ローリングストーンズとジャズは聴かないで今に至る。
だが、小学生の時に心を撃ち抜かれたのは、ストリートスライダース。
やはり、そっちの音楽に血が踊る家系。
ビートルズだの、内藤やすこだの、小林克也だのエコーズだの、宇崎竜童などを聴いて育ってきたので
なんせ、学校で話が合わない。
みんなの歌謡曲のアイドルの話についていけない。しかも、そういう歌謡曲を、全く良いと思えなく、本当に悩んだ。
かといって、自分の好みで聴き出した音楽も、父親が、「こんなもの、音楽じゃない!!」とディスるので、その、自分の好きな音楽さえも、自信が全く無く、
人に「こんな音楽が好き。」と、話したことは無く、話したとて、そのバンドを私の周りは誰も知らず、超孤独に、自分の好きな音楽を聴いていた。
高校生になって、ライブに行きだして、色んなジャンルも聴いて、
でも私は雑食かつマイナーな音楽ばかりを聴いて、プロの楽曲をあまり聴こうとしなかった。
それは、ビートルズに対する反抗でもあった。とか、父親にかな?
でも、ビートルズの歌は、ほぼほぼ全部歌えるんだよな。
もうちょい大人になって、どれいっちょスタンダードな音楽も聴くかい。
と、アメリカのポップスなどを聴いて、またカルチャーショックを受けたり、まあ、
音楽はプロもアマも関係無く、良い音楽は全て良い。と、益々音楽が大好きになった。
2回目のバンドをやってみたり、そのバンドも色々あって、辞める時に
自分の意思で、もうどっぷり音楽中心の生活をやめる。と、宣言した時に、
父親が、「そんなにきっぱりやめなくても、少しは続ければいいんじゃないのか?」
と、音楽を切る事を引き止めた。
私は凄いびっくりした。
小学生の時からバンドをやってみたくて、でもどうやってやって良いかわからなくて、でも、バンドをやる!って父親に話した時に、絶対ダメだ!と言われ、その後ライブハウスに行く事を禁止され、それでもバンドをやったりライブに行ったりしていた私を、事ある如くゲンコツでぶっとばし、胸ぐらを掴み、
「ロクデナシになるぞ!!」と言い続けた父親が、
まさか、そうやって、私を引き止めるとは思わなかった。
私は、今までやっていた事は、私の中である程度の決意があってやってきた事だから、100か0しか無い。だから続ける事は出来ない。100でやったとて、100でやる必要が虚しくなった。やる意味も見えなくなった。
と、父親に言った。
その時、父親は心臓の手術をしていた。
100でやる意味が見えなくなった音楽をやめて、100をこれからの家族に使うと、普通に思えた。
あ、そんな大した音楽はしてないです。
趣味の集まり程度。
ただ、趣味でやるにしたって、私は本気だった。音楽をやめるってのは、音楽関連を一切断つ、という意味があった。
心臓の手術のあと、父親の癌が見つかり、手術を2回して、
でも、身体中に転移していて
父親は亡くなった。
葬式後、父親のいとこが
譲ちゃん(父親の名前)ビートルズが好きでね、ビートルズのこの曲が大好きだったのよ
って泣きながらビートルズのCDを私にくれた。
父親が好きだという、その曲を車の運転中聴いてみた。
その曲は、なんともひねくれた構想で、ビートルズなんだけどビートルズっぽくなく、とてつもないロックで、「えー!パパ、これが好きだったの!!」ってビックリして、
もう涙が止まらなくなってしまった。
母親にそれを話すと、
なんであいつは、あんなキッパリ音楽をやめるんだ?あんなに反対しても反対しても、音楽だけは続けてたのに。
と、凄い残念がっていたらしい。
貴方の為に、音楽を絶ったみたいよ?
と、伝えると、もうあとは黙ってしまったみたい。
私が、また、なんで、ライブに行きだしたり、ドラムのレッスンをやりはじめたかは、
また書こう。
その、父親が好きだった曲、曲名がわからない。
聴けばわかるだろうけど。
好きなバンドの曲名って、好きな程、わからなくないですか?
常に車か部屋で聴いてるから
曲名と照らし合わせる暇がない。
長く書いてしまった。
ありがとう。
おわり。