言いたい事なんて何ひとつ言いたい

日常の思った事をダダ漏れ書き。

そうだったんだね。

高校1年生、いっつも高円寺の20000ボルトの階段のトコにいた。ライブを観る時もあったし、観ない時もあったし、なんで高円寺の20000ボルトに居たんだか、今になったらあんま覚えてない。店長の名前も、なんか思い出せない。菅原さん?だったっけかな?アンチの店長は、当時、松下さんだった。

20000ボルトの階段のトコが異様に好きだったんです。

んで、バンドをやりたいから、バンド名だけ初めに考えて、20000ボルトの壁1面に、自分で描いたチラシを貼り付けていく作業を、毎日していた。1面、自分のバンドのチラシを貼り付けていた。他のバンドが、チラシを貼ったら、また、その上から自分でチラシを貼った。しかもライブ日程とかのチラシじゃ無いの。だって、メンバー居ないから。

次第に、私が貼ってある1面には、誰もチラシを貼らなくなった。しかも、毎日絵を変えて貼ってた。

そん時かな?ライブを入れられちゃってたの。

いついつ、ライブ入れたからー、って店長に言われて、え!!メンバー、私以外いないですよ!?言ったら、じゃあ、なんとかしてメンバー入れてねー、ってゆる〜く言われた。んな、御無体な、、、って思ってたけど、何故かちゃきちゃきメンバーが決まり、しかも、20000ボルトの店長が、ライブを入れた前に、何故かアンチの方に先にライブが入っていた。

まあ、あんま、気にしなかったんだけど。

んで、曲作って、練習して、ライブもまだやってないのに、ギグスっていう音楽雑誌の取材を受けて、

そうなんです。メンバー決まってから、曲を作りだしたんです。ギターも弾けないのに。

バンドのコピーもやった事無く、いきなりオリジナル曲で初ライブ。という、今だと信じられないお話。

てか、若さゆえの怖い物知らずすぎた。

ライブ決まったのも、メンバーが居ない状態で、二ヶ月後とかだったんです。

まあ、私はボーカルだったのと、メンバーはみんな経験者だったんですけどもね。

長くなる。

一旦〆。

おわり。