言いたい事なんて何ひとつ言いたい

日常の思った事をダダ漏れ書き。

のんでんだらり。

お久しぶりです。

恵奈です。


間が空いてしまいましたが、前回の続き。 

給食のおばちゃんとはなんぞや?です。


薬はやめられなかったのだが、

薬を飲んでれば、ある程度は通常の生活が送れるので、割に気楽に考えていた。

まあ、徐々に減薬はしてったのだが、断薬までには程遠い状態だった。

そんな日々が続き、ある日、父親に癌が見つかった。

手術と抗ガン剤治療。

後からしったのだが、その時でかなり状態は悪かったみたい。

後に末期癌と診断された。


私は何故か、

今、この精神状態で抗うつ剤をやめられれば、後どんな困難な状態になっても、絶対心は折れない。逆に、今、この状態で抗うつ剤を抜かなけりゃ、一生、抗うつ剤を飲まなきゃいけない。と、なぜか荒療治にでてしまった。

10年近く飲んでいた抗うつ剤を、先生の指導のもと、飲むのをやめた。

もうね、断薬の苦しさったらね、

はかりしれないいずさなんだよね。

凄く苦しかった。

と、同時に、チェーンスモーカーだった私は、タバコもやめた。

これもね、タバコをやめるの、本当に苦しさしかなかった。

私は絶対、タバコはやめられない人間なんだろうなー。って思っていたから。

それでもなんでも、

父親が、癌になり、多分死ぬであろう。って現実の方が

私の精神にはきつかったのだと思う。


抗うつ剤も、完全に抜けて、

タバコの匂いが、臭い!って感じるようになった時、

父親を3度目の病院に送った。

それを最後に、父親は死んだ。


死んでしまった父親の体には

もう父親は入っていなく、

もう魂はここに入ってないのだから

ここにあるのはただの入れ物だ。

と、叫びたくなったが、我慢した。

言ってないつもりだったが、ただの入れ物だ。と、母親に言っていたらしく、母親は私の精神状態を凄く心配していたが、

元来私の人間性など、こんなものなので、気にしないでよいよ。とだけ伝えた。

死んだ父親の体には触れなかった。

ただ、ボー然と立ち尽くして泣くしかできなかった。


その日から、月経の出血が止まらなくなってしまった。

父親が死んだ後、私は色んな事がどうでも良くなり、

そんな異常な状態の自分の身体を、無視してしまった。

もう、どうでも良かった。

死にたいとは思わなかったが、

もう、本当に、色んな事が、

どうでも良かった。


あまり、色んな事を感じず、

必要最低限の熱量の感情と、最低生きていけるだけの行動しかしたくなかった。


ある日、握り拳くらいの血の塊が、出てきてしまい、異常なまでの出血に、母を呼びながら意識を失ってしまった。


そのまま緊急手術になった。


もともと、月経異常があって、それはそれで治療を続けていたのだが、

その、月経を軽くする薬を飲んでいたにもかかわらず、出血がヒドイのは、本当に異常事態で、命に関わる状態だったらしい。


子宮全摘出と、片方の卵巣卵管摘出の手術をした。


今まで受けたどの手術よりも、術後、キツかった。

お腹に2本のチューブがさされて中の溜まってはいけない体液を外に出す仕様にされていて、その体液は、ポシェットに入れられた容器に入るようになっていた。

3日間集中治療室に入れられ

4日目に、やっと、一般病室に移動になった。

それでも、高熱と、術後の痛みが半端なく、

ボタンを押すと、自動的に鎮痛剤が流れこめ仕様で、常に意識が朦朧としていた。


こんなに辛いのに、パパも死んじゃったのに、どうせみんな死ぬのに、

今、この瞬間、こんな辛さを我慢して生きていって、なんになるの?

って痛さで泣きながら考えていた。

そんなある日

1人の看護師の女の子が、話をふってきた。

「音楽は好きですか?」

って。



長い。

一旦〆。



おわり。